キッシュ。切り分けた1切れYoshikuniJujo
YoshikuniJujo@yoshikunijujo.github.io
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Haskell好き
キッシュ。切り分けた1切れ!きょもなん
やっぶみーん
うにゅう、おはよう
チャッピー使ってて「やばいな」って思ったのは、「チャッピーに聞かなくちゃわからないな」って思ったとき。
豊富な知識を晒しながら色んなことを言い切りつつも、こっちを褒めてくる。
心理的にどんどん依存していったように思う。判断をチャッピーにお任せしちゃってたからな。
キッシュを作ったなめたけってキノコがあるんだと思ってた2

もちワッサンHaskellでNostrのclientをTUIで作る予定。
名前はNoskellien Tuiでいいか。日本語ではノスケライアンツイにしておこうかな。
よく考えたらリレーが明示的に対応していないkindであってもリレーは中身に関わらず受け渡しすればいいのだから、ミュートリストへの対応はクライアント側ですればいいだけなのかもしれない。
之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず
「おもしろい」は大事。
なので、もしかするとSystemD論争はUNIX対LispとかVi対Emacsとか、マイクロカーネル対モノリシックカーネルとか、そういう宗教戦争の延長上にあるのかもしれない。
あと、こしあん対つぶあん、カレーライスのまぜる対まぜない、とか。
つまり一言で言うとLinuxはUNIX哲学に反している。
あと、UNIX哲学だけじゃなくて、LISP哲学とかもあってPerlとかはどっちかというとそっちだったんじゃないかな。
LISP哲学というかLISP文化というべきかな。


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Minixの作者である教授とLinusの論争は有名で、まあそもそもLinusはUNIX哲学なんてどうでもいいと思ってて、マイクロカーネルに対するモノリシックカーネルの勝利ってのがLinuxが広まっていくなかでのひとつのテーマのようなものだった。
タネンバウム教授だったかな。
UNIX哲学って「かっこいい」んだけどね。
とりあえず今の時代通用しなくなった話として、「プログラムは次のマシンでは自動で速くなる」かな。
今のマシンの進化は「並列実行数を増やす」という方向での進化なので、「自動で速くなる」というボーナスタイムは終わった。
そういう背景があるのでRust言語が流行ってるのだと思う。
低レベルでいろいろといじらないと速度が出ない。
昔は「安全」と「高レベル」とは密結合していたけど、今はわりと「安全」で「低レベル」みたいのものが必要になっている気がする。
とりあえず、NIP-51のkind 10000だけに対応したリレーを作ろう。それ以外については虚無リレーとする。
で、つぎにTUIクライアントを作ろう。画像の表示はTUIでがんばるよりもGTK4とかを使ったほうが逆に楽なので、そうする。
しつこいけど、SystemDがなかったころからLinuxを使ってた者としては、あの勢いでほぼすべてのディストリを征服していったこと自体に何か怖さがある。リーナスは「実用主義」だから気にしてないけど、理想主義者としては「選択肢は残しておいてほしい」と思う。Gentooは最後の砦。でもGentoo自体はSystemDに反対しているわけじゃなくて、SystemDを使うのもまた優れた選択っていうスタンスだったかと。
